キャプテン・アメリカ レビュー

【レッドスカルの野望】

   破壊以外にいかなる喜びも今のわたしにはない。
   《『失楽園』第9巻479行》

 映画ではレッドスカル(ヨハン・シュミット)の幼年期は描かれていなかったが、コミックでは以下のような設定になっている(※現在刊行中の「Red Skull: Incarnate」では少し異なっている)。

 ヨハン・シュミットは、暴力的な父ヘルマンと母マーサとの間に生まれた。母親はヨハンを出産した時に死亡している。怒り狂った父親は赤ん坊のヨハンを殺そうとするが、その場にいた医者に止められる。翌日、父親は剃刀でのどを切って自殺する。こうした不幸な生い立ちにより、ヨハンの心には「自分が母親を殺した」という罪悪感と「自分は誰からも必要とされていない」という絶望感が植えつけられたと考えられる。

 ヨハンは孤児院に入れられるが、7歳の時に逃走。以後はドイツ国内を転々としながら、窃盗や傷害といった軽犯罪を繰り返し、路上生活と刑務所暮らしを交互に続けることになる。ヨハンはエステル(あるいはイヴ)というユダヤ人の少女と知り合い恋心を抱くが、彼女に拒絶されたことが原因で、彼女を家族もろとも殺害する。これがヨハンにとって最初の殺しであったらしい。初恋の女性を殺害したという事実は、その後の人格形成に大きな影響を与えたと思われる。

 その後、ベルリンに来たヨハンはホテルのベルボーイとして働きはじめるが、そこでヒトラーと運命的な出会いをしたことがきっかけとなり、彼の右腕として悪の道をひた走ることになる。ヒトラーから赤い髑髏のマスクを与えられたヨハンはレッドスカルへと変貌し、キャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)の宿敵として世界中にその名を知らしめることになった。

 映画では、ヨハンがスティーブよりも前に超人血清を投与された被験者、いわばスーパー・ソルジャー零号というふうに設定が変更されていたが、このアレンジはうまいと思った。二人を疑似的な兄弟関係にすることにより、スティーブとヨハンの結びつきが、より密接になるからだ。

 コミック版においても、レッドスカル誕生の裏にはキャプテン・アメリカの存在が大きな役割を果たしているし、またレッドスカルが“死亡”した時には、レッドスカルの精神をキャプテン・アメリカのDNAから作ったクローン体に移植して復活しているし、逆にキャプテン・アメリカが死にかけた際には、自らの血を輸血することでキャップの命を救ったこともある。バットマンとジョーカーあるいはスーパーマンとレックス・ルーサーのように、キャプテン・アメリカとレッドスカルもまた、切っても切り離せない表裏一体の関係にあると言えよう。

 さらに、こうしたアレンジを加えることにより、聖書におけるカインとアベルの逸話を暗示することもできる。すなわち、父親/神/アースキン博士に愛されなかった兄/カイン/ヨハンと、愛された弟/アベル/スティーブという構図である。こうした父子関係をもう少し掘り下げていれば、映画に別のテーマが加わっていたかもしれない。

 

【キャプテン・アメリカの希望】

   義を見てせざるは勇無きなり。
   《『論語』》

 一方のキャプテン・アメリカはどうだろう。こちらも映画では幼少時代は描かれていなかったが、コミック版では以下のようになっている。

 スティーブ・ロジャースは1920年7月4日、アイルランド系移民である父ジョセフと母サラとの間に生まれた。幼い頃に父親を亡くし、十代の頃に母親も病死したため、その後は孤児院で育ったことになっている。スティーブもヨハンも孤児院育ちであることに留意してほしい。

 映画のなかでアースキン博士は、超人血清は人間がもともと持っている素質を強化するだけであり、悪の心を持っていたヨハンはそのために極悪人になったと示唆していたが、同じ孤児院育ちのスティーブとヨハンを分け隔てたものとは何だったのだろう。以下、スティーブの善性について探ってみたい。

 キャプテン・アメリカのコスチュームは星条旗を模したものになっている。星条旗には赤・白・青の3色が使われており、これはそれぞれ勇気・真実・正義を象徴しているらしい。では、胸やシールド(盾)に描かれた星は、何を象徴しているのだろうか? 星は一般的に「夢・希望・未来」の象徴であるが、他の解釈はないだろうか。星は五角形である。ここでは儒教における五常思想を援用してみよう。すなわち、スティーブの善性(徳性)は仁・義・礼・智・信の5つであると言えないだろうか。

 仁(人を思いやること)…訓練中、フィリップス大佐が偽の手榴弾を投げた時、スティーブは自らの身をもって仲間を守ろうとし、自己犠牲の精神を示した。

 義(なすべきことをすること)…スティーブの父親ジョセフは第一次大戦に従軍した兵士だった。その父親の影響もあっただろうが、スティーブが軍隊に入ろうと思ったのは、戦時にあって「自分も何かせずにはいられない」と感じたからである。しかも、それは敵を憎むような単純な愛国精神ではない。なぜなら「ナチスを殺したくない」と明言しているからだ。

 礼(社会秩序を維持するためのルールを守ること)…軍人となったスティーブは、上司の命令を忠実に実行する(ただし、バッキー救出という「信」を優先させる場合もある)。

 智(知識だけでなく、智慧を駆使すること)…訓練中、ポールの先端についた旗を取ったのはスティーブだけだった。戦場においては、一瞬のうちに状況を判断して行動に移す優れた戦術家である。

 信(友情に厚いこと)…親友バッキーとの友情、ダム・ダム・デューガンをはじめとする仲間との絆は明らかである。

 いかがだろう。東洋的な価値観で説明することにより、スティーブの善性が西洋文化特有のものではなく、普遍的な価値を持つことを示せたのではないだろうか(多少強引ではあるが)。

 

【3.11後へのメッセージ】

   他人の悪を能く見る者は、己が悪これを見ず。
   《足利尊氏『等持院御遺書』》

 映画の公式サイトでは「今こそ正義が問われる時代」と銘打ってキャンペーンをおこなっているが、映画「キャプテン・アメリカ」のテーマは「正義」だろうか? 僕はそうではないと思う。この映画のテーマ、それは「誇り」ではないだろうか。

 3.11以後、数多くの人が数多くの発言をしている。特にインテリと呼ばれる人たちは「この震災をきっかけにして、日本人の意識が変わらねばならない」として価値観のパラダイム・シフトを要求している。たしかに意識変革は必要だろう。しかし、急激な変化は危険な場合がある。それは時代を包む空気となって大衆の価値観を支配し、自分(たち)以外の価値観に「悪」というレッテルを貼って排除しようとする場合があるからだ。社会的に望ましい変化とは、右に傾いた振り子が左に揺り戻すような“水平的な反動”ではなく、上に向かっていくような“垂直的な成長”であるべきだろう。

 しかしながら、現実にはそうなっていない。巷にあふれる「正義」を見てみるといい。誰かが何かを言えば、別の誰かが揚げ足取りをして、発言者の存在そのものを否定する。誰かが何かをすれば、別の誰かが「不謹慎だ」と連呼する。特にネット世界においては、匿名の「正義」があふれている。

 我々は正義という観念がどれだけあいまいで相対的なものか、知っていたはずではないか。それなのに、なぜ足の引っ張り合い、エゴとエゴのぶつかりあい、負け犬探しのゲームといった無意味な行為を繰り返すのだろう。他者を見下すことで、自分の優越感に浸るような愚かな行為のなかに「正義」は存在しない。なぜなら「正義」をおこなう主体者のなかに、己の信念を貫き通し、自らの発言あるいは行為について責任をとるという自意識が欠落しているからだ。そうした自意識こそ、誇りと呼ばれるものではないだろうか。誇りを持たない者が、いくら正義を口にしても無意味だろう。誇りなき者に正義を語る権利はなく、希望を語る資格もない。

 3.11後の日本において、誇りを持っている者はどれだけいるのだろう。僕自身は、この映画は正義を語ったものではなく、「混迷した時代にあって、安易に正義を語るのではなく、誇りを持つことの大切さを再認識させてくれる作品」だと感じた。もちろん、この映画は「安っぽいアメリカの正義を前面に押し出した勧善懲悪の娯楽作品」にすぎないと感じる人もいるだろう。それはそれでかまわない。受け取り方は人それぞれなので、そうした見方を否定するつもりはない。けれど、3.11後の今の日本において必要なのは、他者を否定することで相対的に作られる「正義」ではなく、我々自身の内なる善性から生まれる「誇り」ではないかと思う。

 映画のラストで、キャプテン・アメリカのシールドに見立てたゴミ缶の蓋を持った子供が走っていく場面がある。あれは「アメリカの勝利」を象徴しているのではない。そうではなく、「未来への希望」を象徴しているのだ(だから、次世代の担い手である子供が持っている)。アースキン博士も、超人兵士実験の直前に「これは敵を倒す兵器ではなく、平和への第一歩だ」と告げている。スティーブもその言葉に応えるようにして、攻撃的な銃ではなく、防御用のシールドを愛用するようになる。劇中、キャプテン・アメリカがこちら(観客)に向かってシールドを投げる場面があるが、あの一投は敵を倒すためのものではなく、第四の壁を越えて我々に向かって投げかけられたメッセージなのかもしれない。

 正義ではなく、誇りを持て……あなたは希望という名のシールドをうまく受け取ることができただろうか。

 

【推薦図書】

 邦訳版もいくつか発売されているが、原書を読んでみたいという方には、まずはシリーズ物ではなく、単独で読める以下の単行本をお薦めする。

Captain America: First Vengeance
 (映画の序章となる作品。少年時代のスティーブとバッキーの初邂逅や、アースキン博士の亡命などが語られている)

Captain America vs. the Red Skull
 (キャプテン・アメリカとレッドスカルが対決する代表的なエピソードをまとめた合本。「Tales of Suspense #79-81」「Captain America #143, 226-227, 261-263, 370」等を収録)

Captain America: Death of the Red Skull
 (レッドスカルが“死亡”する「Captain America #290-301」をまとめた合本)

Captain America: Operation Rebirth
 (死に瀕したキャップがレッドスカルによって救われる「Captain America #444-448, 450-454」をまとめた合本)

Captain America: Hail Hydra
 (数十年に及ぶヒドラとの因縁の対決を描いたミニシリーズをまとめた合本)

Captain America: Man Out of Time
 (現代によみがえった直後のキャプテン・アメリカの姿を描いたミニシリーズをまとめた合本)

Captain America: Theater of War
 (第二次大戦中の冒険を描いた短編集)

Red Skull: Incarnate
 (レッドスカルの少年時代を描いたミニシリーズをまとめた合本)

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